エチゼンクラゲが放送禁止用語や自粛用語となってた理由をご存知でしょうか。エチゼンクラゲは世界でも最大級のクラゲであり、一時期はテレビなどで話題となる生き物でした。
今でもエチゼンクラゲが漁業などに損害が生じるクラゲとしてのイメージが強いという人も多いでしょう。この記事を読むと、エチゼンクラゲが放送禁止用語や自粛用語になった理由と名前の由来を知ることが出来ます。
エチゼンクラゲが放送禁止自粛用語になった理由
エチゼンクラゲが放送禁止自粛用語になった理由は、ズバリ福井県にある越前町のイメージや先入観を悪くしないようにする為です。あなたも一度はテレビなどで「日本全国にクラゲが大量発生して漁業網に多大なる悪影響!」とか「巨大クラゲの脅威」というニュースを見かけたことはありませんか。
海を埋め尽くす大量発生のブヨブヨしたクラゲの映像を見て、うげげっと思った経験があると思います。エチゼンクラゲは、あの「大量発生し漁業に大迷惑をかけているクラゲ」のことを指しています。
昔はよく色々な番組でエチゼンクラゲの大量発生をお知らせする内容の放送がされておりました。大量に発生しておぞましい光景を作り出すエチゼンクラゲ、当然奴らが大量発生すれば安心してスキューバダイビングも出来ないし、海の生態系にも影響が出ます。
漁師たちが魚を取ろうと海に沈めた網だって、大量のエチゼンクラゲが取れて隙間が塞がってしまい、本来獲りたいホタテやシャケを取ることも出来ません。これは漁師たちにとってはまさに大迷惑、エチゼンクラゲは「モンスタークラゲ」などと呼ばれており、決して印象の良い生き物ではないのです。
その上、福井県越前町は漁業で栄えている街です。福井グルメといえば海鮮丼ですし、ウニは美味しいし、シーフードは越前町の名物と言えましょう。そんな越前町で取れる美味しい海鮮物に、厄介者の印象の強いエチゼンクラゲのイメージが付きまとっては敵いません。
エチゼンクラゲが大量発生しているのは日本全国至る所なのに、そいつの名前がエチゼンクラゲでは福井県の越前町にとっては割に合わないわけです。ですので、越前町は、自分たちの町にネガティブな印象がつくのを避けるため、各報道機関に「エチゼンクラゲをエチゼンクラゲと呼ばないでください」と申請しています。
結果的には、エチゼンクラゲの正式な呼び方として、「大型クラゲ」と呼ぶようになりました。今ではエチゼンクラゲを放送禁止の自粛用語として取り扱うテレビ局が暗黙の了解で広がっております。
放送禁止自粛用語となったエチゼンクラゲの名前の由来
エチゼンクラゲが放送禁止の自粛用語となった理由は、お分かりいただけたと思いますがここでまた1つの疑問が出て来ます。エチゼンクラゲが、一体どうしてエチゼンクラゲという名をつけられてしまったのか、疑問をお話していきます。
エチゼンクラゲの名前の由来は、たまたまこのエチゼンクラゲが最初に捕獲されて発見認識されたの、ここ福井県の水産試験場だったからです。1920年(大正時代)に、日本で初めてエチゼンクラゲという種類として認識されたのが福井県水産試験所長である野村貴一さんが採集した個体でありました。
エチゼンクラゲの見た目は、すでに発見され食されていたビゼンクラゲに似ており、今まで違う個体だという福岡県越前町で発見されたビゼンクラゲみたいなクラゲ、ということで、翌年1921年から地名をあやかってエチゼンクラゲと名付けられたのです。
しかし、実はこの福井県水産試験場、所在地は越前町ではなく若狭なのです。何故どこがどうなってエチゼンクラゲに越前の名がついてしまったのか、そこには謎が残ります。
おそらくこの巨大な新種のクラゲを鑑定した博士が、「福井といったら海鮮で有名なエチゼンでしょう!」ということでエチゼンクラゲと付けたのではないでしょうか、という説が濃厚ですね。
エチゼンクラゲは毒性もあり大量発生で海を困らせる厄介な巨大クラゲなのに、とんだ理由でエチゼンの名を使われてしまって、越前町はさぞかし無念でしょう。当初はエチゼンクラゲが超巨大で、話題性による更なる町起こしの一環からの命名であったかと思います。
そして、エチゼンクラゲの英名正式名称も、発見者の野村貴一所長の名をとって、「Nemopilema nomura」とか「Nomura’s Jellyfish」とか呼ばれているので、まるで日本のクラゲみたいに身近な名前なのがいただけないといえばいただけませんね。
以上が、今となっては放送禁止の自粛用語扱いのエチゼンクラゲの名前の由来の説明でした。